日記
ああ、やっとこの日記に向かえる。
最近は本当にうんざりな日々が続いている。
俺は先日まで、一人家にひきこもりろくに人と会わず転職活動の準備をしていた。
しかし、転職活動に詳しい人物からのなんの助言も無しにただ一人でそれを続けるのにうんざりしてきた。
思い立ったらすぐ行動に移すので、翌日にエージェントの登録の予約をいくつか入れた。
俺は孤独に弱い。
そして昨日エージェントに会ってきた。外はものすごく暑くて、大学時代よりぐっと体力の減った俺は電車で立っているのもなんだかだるかった。
電車で座っても姿勢の形に気を遣う余裕は無かった。
いくつかエージェントに登録してみたが、目からウロコのアドバイスをくれる上に前向きになれる言葉をかけてくれるエージェントもいれば、クソみたいなエージェントもいた。
ちなみに俺は、あの会社で上司から何を言われていたか尋ねられた際、記憶に蓋がかかって、あれだけ嫌で嫌で日々ぴったりと俺にしがみついていたあの上司の言葉たちがほとんど思い出せなかった。普通に、思い出せませんと返した。あの会社のことを考えると頭に霧がかかる。
帰り、1000円の手相占いに寄ってみた。俺は的中に関しては期待していなかった。
だって、あまりにも安すぎるから。(逆に、妙に高すぎるのも怪しいが)
まあ、昔みたく「彼氏とかいらないタイプですよね?」と言われ「いや、欲しいですけど」という笑えるくらいの展開になって話の種になればなあと思って行った。
俺は心霊だの占いだの、そういう普通の人間の感覚ではわからないことが大好きだからな。
で、30分くらいは待っただろう。俺はその占い師に会った。
50代くらいの女だった。
俺はソイツの顔を見た瞬間「あれ?こいつおかしいな。目つきが変だ。意地汚そうな人だな」と思った。
そして鑑定はというと、前回の出来事のような面白いことはなく、ただただ彼女の一方的な上から目線の自分語りを聞かされるだけだった。
適当にホメるだけならいいんだが、適当にけなしの要素も入れてくる。
俺は他にもうさんくさい占いに行ったことがあるのだが、その占いは適当にホメてくれるばかりで、嘘くせえ~と心の中で笑いつつも気分を害すということは無かった。
しかしこいつは違った。かなりいい加減なことを言ってくるのである。
占い師が細い小さな棒で俺の手相をなぞりながら間髪入れずにくどくど喋っていた。
その棒は手にあたるととても痛く、ソイツらしい仕事道具だなと思った。
間髪入れずにずっと喋るのは、相手から何か突っ込んだことを訊かれたり言われたりすると困るからだ。
能力が無いのに、占いが出来たらカッコイイとか、人から一目置かれるとか、お金になるとか、そんな理由で占いをやろうとする。
アイツは自分のことばかり考えていて、相手のことなんてまったく考えていない。
占いは能力が無いと出来ない。しかし、世の9割の占い師には能力が無い。
これだから「占い」は胡散臭い、絶対に信用出来ないなんて言われるんだ。
能力が無いのに無理やりそれをやろうとしたところで、カッコ悪いのになあ。
自分の頭の中で自分がカッコよければ、実際の他人の気持ちなんてどうでもいいんだろう。
そういう生き方が、アイツの顔には出ていた。
俺は帰る頃には、うんざりしていた。
最近また調子が悪い。
俺はまた「死にたい発作」が起きた。
最近耐性が無いんじゃないか。
なんかもう、夏がしんどいほど暑い。それだけでかなりうんざりしてしまう。
ハハハハ・・・・。えへへへ。
俺はさみしい。
5年間恋人が居ない。
俺も好きな人から一直線に愛されて、俺も一直線に愛情を向けたい。
こんな人生は嫌だ!
最近特に思う。24年も生きていると、大体人生のパターンというものが見えてきてしまう。結婚して子ども出来たら変わるんだろうけれど。
生きていて思う。つくづく、この生は苦しいことが沢山起こる。
良い事なんて長く続かないし、記憶の隅のほうにいってしまう。
俺は学生時代に長くいじめられっこだったり、苦学生だったりしたが、大人になって働きだしたら何かが変わると思っていた。
だから、今はものすごく辛いけど、将来は変わるんじゃないかってまだどこかで期待していた。
でも今の俺に、そういうのはあまりもう残されていない。
「パターン」が見え切っているような気がする。
せっかく苦労して学生生活を終え、就職したと思ったらこのザマだ。
最低でも一年は続けたかった。
やっぱり今でもその思いが頭にあるんだ。
期待しても、期待しても・・・・苦しいのを乗り越えても、乗り越えても・・・・
やっぱり壁が沢山出てくる。
俺はさみしい。俺も恋人が欲しい。
っていうか、さっさと結婚して子どもが欲しい。
これは逃避なんだろうか。
こんなこと考えている自分に嫌気がさす。
でもだってそうじゃないか。
だったらこんなところにうじうじ書いてないで、それを果たせるよう行動に移せばいいのに。
ああ、都会の夏は暑い・・・・。俺、東京に出て得たい物は沢山あった。
俺が最初よくうつの診断書をもらったとき、親は実家に帰ってくればとすすめた。
でも、研究学園から東京に出るのに、あの電車賃じゃあ話にならない。
俺の実家が都内だったら良かったのに、とつくづく思う。
死にたいという感情は、喜びの中でも生まれることを最近知った。
俺はS君と遊んだあの日、あまりにも久しぶりに楽しい気持ちになった。
こんなに感情が充実したのは、一体何年ぶりなんだろうと本気で思った。
わかれた後の電車の中で俺は、もう、今日家に帰ってドアノブに首くくって死んでもいいかなあとぼんやり考えた。なんかもう思い残すことはないなあって、にこやかに死について夢想した。
でも俺は死ねないんだなあ。俺が考えるに、自殺した後の自分の状態は最悪だろう。
魂という名のエネルギー体が行き場を失うのだ。一言でいうと。
だから、自殺した後はラクにならないばかりか、余計ヒサンなことになる。
よって自殺は後悔のもとだ。
そう昔から考えているから、俺は最終的に本当に死ぬという決断を下さないでいる。
(親や姉も悲しむし・・・)
俺の祖母が今瀬戸際らしい。死んでこの世から解放されるか、まだしばらく生き続けるのか。食事も喉を通らず、救急車で運ばれたらしい。
土曜日に俺が研究学園まで行くのはもう確定となっている。
祖母の体調が悪く、身体的にも苦しいのは確かにつらいだろうなと思う。
しかし人間は皆その道を歩むのだ。
祖母がもし病院で死んだとしたら、俺は確かにさみしいとも思うが、それと同時に天寿をまっとうしたことに感動するだろう。
生きることって、色々苦しいのに・・・・祖母は家(じーちゃんち)の中で、自分はお荷物だとしょっちゅう言っていた。年を重ねて身体が不自由になったからだ。
生きていて嫌だったことうんざりすること沢山あっただろう。
でも、自殺せず最後まで頑張ったのだ・・・。それって、素直にかっこいい。
彼女が死んだら俺はそう思うだろう。
人間が寿命で死ぬニュースが流れると、悲しいムードで番組はそれを伝える。
俺にはその感覚がわからない。
むしろ、ちゃんと寿命で自分の役割を果たし終えることが出来たなら、それは実際喜ばしいことなのだ。
ああ、俺は最近この24年間の人生にうんざりしてきている。
まあ、そうは言いつつも仕事探すけどさ・・・。
俺は働いていない今の自分を許せないでいる。
なんだかんだで真面目なんだよなあ・・・。
やっぱり人との交流が足りてないんだよなあ・・・。
こうなるときは大体そのパターンだ。
なにかの集まりに顔を出したい。
そういや「おりもの」の画像をツイッターに投稿したことだが。
俺は自分の人生に嫌気がさし、変わったことがしたくなった。
この世の一般常識にはむかうようなことがしたくなった。
そんなとき、あのおりものが俺の目にうつった。
膣から面白いほどティッシュにびよんと伸びて、凄く芯のカタイおりもの。
俺はそれを指でつぎって、そのかたさを感じ、手にのせてまじまじと眺めた。
感動した。こういうおりものが出ると、なんだか気分が上がる。
俺はそれを写真に撮った。
載せたとき、主に同性の共感が欲しかった。
おりものは世間の常識では載せないほうがいいらしい。
でも、俺にとってはそんなこと知ったこっちゃない。
そんな生きづらさはごめんだ。
女ならみんな、立派なおりものがとれたとき、感動するだろう。
潔癖でなければ、指にのせてびよんと意図的にのばしてみたりするだろう。
俺はこの、多くの世の女性が感じる表面化されていない感動を、自分のツイッターアカウントで表面化したくなった。
それには反対意見もあった。
単に、グロイから、とかならわかる。
でも俺は常識とかどうでもいい。
そんなことを俺に強制する奴がいたらそいつは死ねばいい。
・・・・ふふふ。
というわけなのですよ。にぱ~☆
(ひぐらしのなく頃にを10年ぶりにプレイしていたらこの口調がうつってしまった)
では。